【神奈川県の鉄筋鋼材】鉄との繋がりと不思議な歴史について

鉄鋼業がさかんな10大都市の1つをもつ神奈川県

神奈川県は関東地方の中でも千葉県や茨城県と並び、鉄鋼業で栄えている県の1つです。
その神奈川県の中でも川崎市は、全国でも鉄鋼業がさかんな10都市に数えられるくらいです。

昨今は中国の安価な鉄筋鋼材などが仕入れられるようになり、多少は勢いが衰えておりますが、まだまだ日本の重工業の要として動いております。
また、鉄鋼業の中でも鉄筋鋼材は建設時のコンクリートと併用して使用する鉄筋コンクリートとして使われているので、今の建設業界ではなくてはならないものです。
そんな日本を支えている鉄筋鋼材を多く取り扱う神奈川県のこの地域周辺は、古来から鉄との繋がりがあったということをご存知でしょうか?

鉄との繋がりと不思議な歴史

川崎市の隣、県庁所在地でもある横浜市には上郷深田遺跡という製鉄遺跡があり、7世紀中期から9世紀前半頃に作られたものとされています。
時代背景としては飛鳥時代から平安時代初期の頃でしょうか?
製鉄遺跡のため、正確には鉄鋼業とはまた違う形ではありますが、この遺跡には不思議な点があるのです。

まず1つ目が鉄の原料に関すること。
この原料についてですが、今だにその原料がどこから取れたものかがわからないのです。
砂鉄を原料にするにしても大量に必要になりますし、採掘が必要なのでそういった跡があるはずですがありません。

2つ目が製鉄した鉄の使用目的です。
実はこれもはっきりとした目的がわかっていないのです。
精錬作業を経て鍛造して形を整えていくのですが、遺跡の規模的にも大規模ではなく小規模。
なので武器のために作られたという可能性が少ないのです。

こうした不思議な歴史ですが、仮設として近隣の集落とのつながりなどの可能性があるので、発掘調査が進展していけばまたわかることがあるかもしれません。
こうした今だに解明できていない不思議な歴史が、鉄との関わりが深く現在では日本に欠かせない重工業の地域として今もあり続けているのは、なんだか不思議な縁がありますね。